Life isn't simple; that's why it's worth being here
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冬は本当にきつい。
でも、今年の冬は特につらい。

大切な人を大切にできない悔しさと、
大切な人に大切にされない悲しさと。
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なんか年明けてからずっと疲れてる。
今は自分のことでいっぱいいっぱい。


4月から新しい仕事が始まった。

某大学の非常勤講師。
しょっぱなからミスばかりして、顔が赤くなったり青くなったり。
正直、行先不安でしかないが、まあ、なんとかやってみようと思う。

そして、引っ越しを検討中。
計画性の無い夫に振り回されながら、それでも、私が計画を立てて家を探している。
私も計画性無いんだけど……。

最近、夫が本当にADHDだということがわかり、夫のことが少し理解できるようになったと思う。

夫はADHDのことを昔から冗談のように笑って話していたので冗談だと思っていたが、このあいだ計画性のことで大げんかをして、ふと気になってADHDの診断サイトのようなものを見てまわったところ、そこに挙げられている特徴が、夫の行動とほぼすべて被っていた。
夫にヘラヘラせずちゃんと話してほしいとお願いしたら、
「自分もずっと苦しめられてきた。自分を責めるとそこでストレスになるので、いつも自分の行動を笑い飛ばして冗談にすることで、やるせなさを解消してきた」
とのこと。

なんだそれなら早く言ってよ……私は本当にだらしないだけなんだと思っていた。
そういう子たちを教えてきたんだから、その手のことに明るくないわけではない。
でも、ヘラヘラと言われたら、冗談なんじゃないかと思ってしまうよ。

というようなことを言い交わし、ケンカは仲直り。
もうかれこれ5年以上も夫と一緒にいるけど、毎年、毎月毎日夫に関して新しい発見がある。
心底、おもしろい人だよなあ、と思う。
経済的には本当に大変だけど、私はこの人と一緒にいられて本当に幸せなんだと思う。

一方でわたしは、自分が求めるものが何なのかわからず困惑している。
だいたい上記のケンカも、私が経済的な不安を夫にぶつけるところから始まった。

私は安定など求めていない、と言いつつ、どうやらある程度の安定を求めているようなのだ。
毎日家賃のためだけに仕事をしているこの生活が嫌で仕方ない。
できれば、三十の大台に乗る前に、ある程度まとまった貯金もほしい。
子どもを生まないと決めたから、少しは老後のことも考えたいけど、これって安定を求めているということなのだろうか。

本当は、自分のやりたい仕事を思い切りやりたい。たとえお金にならないとわかっていても。
でも、実際に生活していくためには、生活できるだけの稼ぎがなければいけない。
最近、そのへんのやる気が自分にかなり欠けてきているのを体感していて、それが自分が社会的にクズになっているようでつらい。クズになっている、というか、もうクズなのかもしれない。

なんだか、なんでもうまくいかない、と逃げて回っているのが自分なんだと思う。
もういっそのこと、何もかもから逃げる=自分で自分を消す、という手もいいんじゃないか、とさえ思う。
所詮自分なぞ、社会のゴミで役立たずなんだから、と。

仕事を抱え過ぎなのかもしれない。
ここは東京のベッドタウン、家賃も高い。
引っ越して、家賃を下げて、抱えてしまっている仕事を少しでも少なくできたら、状況は変わるのかもしれない?
今年に入って、いろいろなことがありました。

時差ボケと気温差40度に苦しめられて、
約10年ぶりのモーニングアフターをのむハメになって、
そして相方と家計のことで大げんか。

初めて「国際離婚」について検索した。
心を傷つけられて、今も癒えていない。
正直、この先どうなるかわからない。

プライベートがずたぼろだから、仕事にも力が入らなくて
この間、一番信頼を失いたくない場所で信頼を失いかけた。
なんとなく、もう信頼を構築できない気がする。
できることは精一杯やるけど。

3年間奴隷のように働いているけど、生活は苦しくなるばかり。
私はますます生きている意味がわからない。
なんで呼吸をしているのか、なんのために生まれてきたのか
生きがいとは何なのか、そもそも生きがいなどあるのか。
わからないし、わかりたくもない。
できることなら早く逝ってしまいたい。

そろそろ生きることに疲れてきた。
何にも楽しくないし(楽しいことにはお金がかかるから)、
自分や仕事の実力に自信もないから仕事も100%楽しめない。
いつも逃げることばかり考えている。
今の仕事、辞めます。
もう、疲れてしまって。

しばらくは、自分のやりたいことを探したい。
もう、みんなと同じ生き方なんかできない。
というか、もともとそんな生き方してない。
久しぶりに凹んでます。

ここんとこずっと、あー自分はなんて役立たずなんだろうとずっと思っていて、
そこに来て受けた打撃。まあ、ダメ元ではあったけどね……。
凹んでます。
熱中症になるのではないかというくらい、暑い。

最近、いろんな人と出会ったり、別れたり。
仕事も能力が足らなくて満足にできない日と、うまくいく日と。

でも、去年の7月よりは、断然楽しく過ごしている。
人生、こんなもんなんだろか。
あくまでも個人のメモ。

大学院まで出て情けないんだけど、私は今回の事件について、引用のちゃんとした仕方くらい教えようよ日本の義務教育でさあ、って、中身のない批判しか言えない。

だけど書いとく。思ったことを忘れないために。

昔からそうだったけど、夏休みの宿題として出た作文なんか、真面目に書いてる人ほとんどいなかったよね。パソコンも、ケータイすら個人ではごく少数しか持っていなかった時代、「コピペ」なんて言葉はなかったわけだけど、「コピペ」同然のことはずっと行われていた。

「読書感想文?あぁ、本に書いてあったこと全部丸写しして、あと自分の考えたこと足しといたよ」
「作文?親に全部書いてもらったー。」

こんなこと、毎年あったわけですよ。もちろん私の周りにもそういう人はいました。というかむしろこっちのほうがスタンダードな児童生徒だったんじゃないだろか。

私はそうやってラクすることが好きじゃなかったからやらなかったし、(とは言え「引用」などもすることはなく、ただただ自分の意見や状況説明をしていたように思う)大学生になって、そういうクセつけなくて本当によかったと思ったけど、小学校時代に先生に指摘してもらえず「コピペ」のクセついちゃってる人はそのクセを直すのにすごく時間がかかると思う。今までは他人の文章を切り貼りしたところどころに自分のことばを入れればそれで先生からOKが出たわけだから。

少し頭のいい人だと、バレないようにって「コピペ」したやつに自分のことばを足すだけでなく、コピってきたやつもちょっと自分の言葉に直したりする。そうすると書いた文を自分調に変換する能力(パラフレーズ能力)はかなり高くなるのでアカデミック・ライティングでも使える力が身に付くわけだけど、でも結局文章丸ごと使ってることが多いし、自分の言葉に書きなおすのも大抵単語単位だろう上にちゃんとした作法で引用もしてないから、どのみちアウトになる。
あと、丸ごと持ってきた文章の一部だけを改変するのはアウト。出典あってもなくてもアウト。どこまでが他人の書いた文章で、どこまでが自分の文章かわからないから。ちなみに出典を明記した上でちゃんとした表記方法を守れば、他人の書いた文章の一部を丸ごと持ってきて引用することは可能(全部ではない。そもそも全部持ってきたら、その時点で自分が書こうとする文章は自分の文章ではない)。

高校の教員やってたときも思ったけど、学校教育は「文章を書く」という指導をしなさすぎ。そもそも文章能力ない先生もいるし、せっかく高い文章能力持っている先生がいても、(そういう先生は大抵重宝されてお忙しい上に)学校教育のカリキュラムの中に「アカデミック・ライティング(日本語)」の時間は組み込まれていない。
いや、でも、いわゆる「作文指導」って、先生のちょっとした工夫だけで大改善できると思うのだけれども。
例えば引用に対してなら、小(あるいは中高)の先生が、「人の文章はね。使ってもいいけど、その時は、誰が書いたどの文章を使ったのか、ちゃんと書くんだよ。」とだけ言ってくれれば、そしてどうやって自分の文章と人が書いた文章を分けるか(基本は本当に簡単)を5分で説明してくれさえすれば、児童生徒は少なくとも「ああそうか」と思うだろう。そして、頭の良い子なら、「なぁんだ。全部自分の意見じゃなくてもいいのか」くらいは考えるだろう。時間があれば、例えば小学校の読書感想文でよく使われる「『■■■■』という本の中で、○○さんは『×××××』と言っています。でもわたしはこう思います。」みたいな文は、基本的にどんな作文でも使えて、いくつかパターンもある、ということまで教えたら、小学校レベルは十分なのではないか。さらに引用の際に使える文のパターンリストなんかも作れたら、(その文体が稚拙であったとしても)あとあと非常に役に立つだろう。

さんざんディスられている文章構成についても、マインドマップの作り方を伝授したり、基本的な文章構成の型(導入→本文→結論)を明示してあげるだけでもずいぶん変わると思う。

日本の作文指導は、さも型を与えるのが悪いかのように例文や段落の型を与えるのを嫌っているように思う。なぜかさっぱりわからない。高校レベルまで行くと、作文から突然小論文を書かせられることも。作文と小論文の違いも教えられず、どう書いたらいいかもわからずにとにかく高い金を払って小論文模試を受ける(模試という実質上の外注なのは、後で述べるがおそらく先生方が一枚一枚生徒の解答を確認する時間がないから)。「良い」とされている型がすでに存在するのに、その型を自分で探せというのか?それは非常に非効率的なことだと思う。

ちなみに私も高校で作文指導をちょいとかじったが、時間の関係で引用までは話せなかった。マインドマップ使ったりしてちゃんとした構成の文章を書くことまで伝授して終わった。一人ひとりの作文を念入りにチェックして、それぞれのライティングスタイルに合わせて教えるには、作文の時間は短すぎた。あと、高校レベルになると、もう「自分の」作文スタイルが出来上がってしまっていて、ちゃんとした構成になっていなくてもこの残り時間じゃもう直しようがないな……というものもあったりした。

そう、問題は、方法を伝授したあとなのだ。伝授したあと、それができているかフィードバックを返す時間が圧倒的に足りない。

今の学校教育の現状としては、
1.雑務、部活、生活指導、教材研究などに時間をとられ、一人ひとりの作文をじっくり添削する時間がない。
2.そもそも先生方の中でもちゃんとした「引用の作法」を知らない、あるいはそれがいかに大切なものかを認識していない人が多い。そして
3.教員含め公務員が作る書類はほぼコピペで作られているゆえ、教員は自分の文章と他人の文章を区別しなくても良い世界に住んでいる。
これが大体の学校で起きていることだと思います。そりゃしっかりした構成まで組み立てさせる作文教育なんかできないわな。

上記の「文章を書く指導」ひとつとっても、世の中にころがっている教育の問題をよく見ると、結局カリキュラムやシステム自体をどうにかしないとどうにもこうにも変わらないことのほうが多い。
現場の先生方の中にも頑張っておられる方がたくさんいらっしゃるが、大抵、自分の時間や健康を削っていらっしゃる。

子どもは大人のやることを見て育つので、基本的に大人がやらないことを子どもはやらないし、大人がやることは子どももやりたがる。
今回の事件は、真相はまだよくわかりませんが、(社会の)大人たちがやることを学生のときから見てきて、やって当然だと思ってやっていたら大変なことになった、というのが核心なのかなあと個人的には思う。
こんにちは。ロクンです。

昨日は13日の金曜日にまさかの仏滅が重なるという何だかものすごく縁起の悪そうな日でしたが、私の26回目の誕生日でした。

7年に一度くらい13日の金曜日に当たるんですが、日本の暦は気にしたことがなかったので「仏滅」も重なっていると職場の人が話しているのを聞いてこりゃネタになるな、と思い、その日会う約束をしていた友人と家族に話しまくりましたw

で、私は現在某SNSで自分の誕生日を公開することを控えているので、誕生日のメッセージはあまりもらわないのですが、それでもメールを送ってくれる人がいて、ありがたいなあと思った次第です。
(誕生日にはそんなに大切さを感じないので、祝われなくても別に悲しくはない)

で、それと同時にこんなことを思いました。

長野で生まれ育ち、大学進学で群馬にやってきて、1年間のアメリカ留学を経て群馬に戻り、5年とちょっと住んで神奈川へと越したわけですが、自分の故郷はもちろんんこと、行き着いた土地のさまざまなところでさまざまな思い出を作ってきたんだなあと。
今まで場所を焦点として自分の人生を振り返ったことがなかったので、意外とたくさん移動したのだなあと思った。群馬では2つの違う街に住んだ経験もあるしね。

自分の生まれ故郷は大好きで、いつかは必ず戻りたいと思う。
戻ったら、午前中は内職をして、午後は小学生の宿題のお手伝いをする小さい塾(塾代は一日一人10円w)を開いて子どもとわいわい過ごすのが夢。

一時期、故郷を出てしまったことを後悔したこともあったけれど、実家に留まっていたら出会わなかった素敵な人や場所がたくさんある。

群馬の大学に進学しなかったら絶対出会えあなかった、全国の友だち。それぞれに個性があって、私の個性も認めてくれて、みんな最高の仲間。
アメリカに留学しなかったら絶対出会わなかった世界中の友だち。言語の壁を超えて相方ができたことは奇跡みたいなもんだと思う。
大学のある講義を履修しなかった会うはずもなかったインドネシアの友人たち。
群馬で就職しなかったら一生会わなかったであろう、素敵な先生方。
英語が話せなかったら絶対出会えていなかった、最愛の人。
神奈川に出てこなかったら一生接触することのなかったであろう、今の職場の人たち。

いつかは実家に帰りたいけれど、もう少し「外の世界」を見るのもいいのかも。

と、そんなことを思った誕生日翌日なのでした。


……とはいえ、いつの間にか四半世紀を生き切ってしまった私。
あんまりフラフラもしていられません。

中途半端な英語しか武器として持っていない私には、この世界はきつすぎるかもしれない。
でも、周りの方々の助けによって、めげずになんとかやれている。
今度こそ仕事で失敗したくない。せっかく出会えた人たちと、プロジェクトを完成させたい。

あのクソみたいな職場を離れて本当によかったと思う。
頭の良い人たちと仕事をするのはとても心地がいいです。
ただし、今度は私が一番無知で足手まといになる可能性があるので、気は抜いていられない。
その緊張感も好きかもしれない。

明日は休みだけど月曜日は出勤です。私は私にできることをやります。
プロジェクト、いろいろ間に合うといいなー。(gkbr)
キレてます。

何がって?


集中力が。


明日の夕方までに終わらせたい仕事が10本あるんですが、週末から始めて、まだ3本目……。
難しい仕事ではあるんだけど、仕事を進めるに当たって文献とかネットの情報とかが必要になってくると、
その時点で集中力が切れてネトゲや冷蔵庫wに意識が向いてしまう(´・ω・`)

以前と比べると、本当に集中力がなくなったなーと思うのです。

留学中も全然集中力なくて嘆いていたけど、昨今の集中力のなさはやばい。
今の若い子たちのこと悪く言っていられない。
誘惑が多すぎるんだよね。テレビとか(うちテレビないけど)、ゲームとか、マンガとか、ネットとか。
そしてそれは子どものせいではない。その環境を整えているのはオトナ。
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