あくまでも個人のメモ。
大学院まで出て情けないんだけど、私は今回の事件について、引用のちゃんとした仕方くらい教えようよ日本の義務教育でさあ、って、中身のない批判しか言えない。
だけど書いとく。思ったことを忘れないために。
昔からそうだったけど、夏休みの宿題として出た作文なんか、真面目に書いてる人ほとんどいなかったよね。パソコンも、ケータイすら個人ではごく少数しか持っていなかった時代、「コピペ」なんて言葉はなかったわけだけど、「コピペ」同然のことはずっと行われていた。
「読書感想文?あぁ、本に書いてあったこと全部丸写しして、あと自分の考えたこと足しといたよ」
「作文?親に全部書いてもらったー。」
こんなこと、毎年あったわけですよ。もちろん私の周りにもそういう人はいました。というかむしろこっちのほうがスタンダードな児童生徒だったんじゃないだろか。
私はそうやってラクすることが好きじゃなかったからやらなかったし、(とは言え「引用」などもすることはなく、ただただ自分の意見や状況説明をしていたように思う)大学生になって、そういうクセつけなくて本当によかったと思ったけど、小学校時代に先生に指摘してもらえず「コピペ」のクセついちゃってる人はそのクセを直すのにすごく時間がかかると思う。今までは他人の文章を切り貼りしたところどころに自分のことばを入れればそれで先生からOKが出たわけだから。
少し頭のいい人だと、バレないようにって「コピペ」したやつに自分のことばを足すだけでなく、コピってきたやつもちょっと自分の言葉に直したりする。そうすると書いた文を自分調に変換する能力(パラフレーズ能力)はかなり高くなるのでアカデミック・ライティングでも使える力が身に付くわけだけど、でも結局文章丸ごと使ってることが多いし、自分の言葉に書きなおすのも大抵単語単位だろう上にちゃんとした作法で引用もしてないから、どのみちアウトになる。
あと、丸ごと持ってきた文章の一部だけを改変するのはアウト。出典あってもなくてもアウト。どこまでが他人の書いた文章で、どこまでが自分の文章かわからないから。ちなみに出典を明記した上でちゃんとした表記方法を守れば、他人の書いた文章の一部を丸ごと持ってきて引用することは可能(全部ではない。そもそも全部持ってきたら、その時点で自分が書こうとする文章は自分の文章ではない)。
高校の教員やってたときも思ったけど、学校教育は「文章を書く」という指導をしなさすぎ。そもそも文章能力ない先生もいるし、せっかく高い文章能力持っている先生がいても、(そういう先生は大抵重宝されてお忙しい上に)学校教育のカリキュラムの中に「アカデミック・ライティング(日本語)」の時間は組み込まれていない。
いや、でも、いわゆる「作文指導」って、先生のちょっとした工夫だけで大改善できると思うのだけれども。
例えば引用に対してなら、小(あるいは中高)の先生が、「人の文章はね。使ってもいいけど、その時は、誰が書いたどの文章を使ったのか、ちゃんと書くんだよ。」とだけ言ってくれれば、そしてどうやって自分の文章と人が書いた文章を分けるか(基本は本当に簡単)を5分で説明してくれさえすれば、児童生徒は少なくとも「ああそうか」と思うだろう。そして、頭の良い子なら、「なぁんだ。全部自分の意見じゃなくてもいいのか」くらいは考えるだろう。時間があれば、例えば小学校の読書感想文でよく使われる「『■■■■』という本の中で、○○さんは『×××××』と言っています。でもわたしはこう思います。」みたいな文は、基本的にどんな作文でも使えて、いくつかパターンもある、ということまで教えたら、小学校レベルは十分なのではないか。さらに引用の際に使える文のパターンリストなんかも作れたら、(その文体が稚拙であったとしても)あとあと非常に役に立つだろう。
さんざんディスられている文章構成についても、マインドマップの作り方を伝授したり、基本的な文章構成の型(導入→本文→結論)を明示してあげるだけでもずいぶん変わると思う。
日本の作文指導は、さも型を与えるのが悪いかのように例文や段落の型を与えるのを嫌っているように思う。なぜかさっぱりわからない。高校レベルまで行くと、作文から突然小論文を書かせられることも。作文と小論文の違いも教えられず、どう書いたらいいかもわからずにとにかく高い金を払って小論文模試を受ける(模試という実質上の外注なのは、後で述べるがおそらく先生方が一枚一枚生徒の解答を確認する時間がないから)。「良い」とされている型がすでに存在するのに、その型を自分で探せというのか?それは非常に非効率的なことだと思う。
ちなみに私も高校で作文指導をちょいとかじったが、時間の関係で引用までは話せなかった。マインドマップ使ったりしてちゃんとした構成の文章を書くことまで伝授して終わった。一人ひとりの作文を念入りにチェックして、それぞれのライティングスタイルに合わせて教えるには、作文の時間は短すぎた。あと、高校レベルになると、もう「自分の」作文スタイルが出来上がってしまっていて、ちゃんとした構成になっていなくてもこの残り時間じゃもう直しようがないな……というものもあったりした。
そう、問題は、方法を伝授したあとなのだ。伝授したあと、それができているかフィードバックを返す時間が圧倒的に足りない。
今の学校教育の現状としては、
1.雑務、部活、生活指導、教材研究などに時間をとられ、一人ひとりの作文をじっくり添削する時間がない。
2.そもそも先生方の中でもちゃんとした「引用の作法」を知らない、あるいはそれがいかに大切なものかを認識していない人が多い。そして
3.教員含め公務員が作る書類はほぼコピペで作られているゆえ、教員は自分の文章と他人の文章を区別しなくても良い世界に住んでいる。
これが大体の学校で起きていることだと思います。そりゃしっかりした構成まで組み立てさせる作文教育なんかできないわな。
上記の「文章を書く指導」ひとつとっても、世の中にころがっている教育の問題をよく見ると、結局カリキュラムやシステム自体をどうにかしないとどうにもこうにも変わらないことのほうが多い。
現場の先生方の中にも頑張っておられる方がたくさんいらっしゃるが、大抵、自分の時間や健康を削っていらっしゃる。
子どもは大人のやることを見て育つので、基本的に大人がやらないことを子どもはやらないし、大人がやることは子どももやりたがる。
今回の事件は、真相はまだよくわかりませんが、(社会の)大人たちがやることを学生のときから見てきて、やって当然だと思ってやっていたら大変なことになった、というのが核心なのかなあと個人的には思う。
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