2010年を振り返ると、
やっぱり良いことない一年で
正直、がっかりです。
2009年は本当に嫌な年で、
得た物よりも失ったもののほうが多かった。
2010年は、失ったものも損なったものも多かった。
楽しい思い出もあるけれど、
そこにはいつだって悲しい思い出が付随していた。
1月。
epic drinking。Legend Mと飲んだ最後の飲み会。
不完全燃焼で終わった卒論。
欝。
母の実家に逃げ帰る。
2月。
試験に追われる。
仕事。
高崎に入り浸る。
ほぼ毎週末家に居なかった。
3月。
スナックでの仕事をやめる。
新たな仕事を始めるも、心は別の場所に。
卒業。仲間との別れ。
4月。
欝。新潟に逃げる。
翌日、信じられない事故。
毎日病院に通う。
家になんか24時間も居なかった1週間。
入学。
Legend M逝去。
ありえなかった。
今でも信じたくない。
でも、彼はもうここにいない。
彼が残してくれた、絆。
私たちの絆の中に、
彼はずっと生き続ける。
5月。
心が空っぽのまま気がついたらGWも終わっていた。
疑念が浮かび上がった友人の誕生日。
それでもその時の私は信じたかった。
疑念を抱いたまま教育実習。
6月。
研究授業2日前に腰を痛める。
ここから地獄の始まりだった。
実習後、疲労度が100%を超え、おかしな状態に。
欝になってもわかってもらえず、仕事が全力で嫌になる。
唯一頼りにしていた人にも捨てられ、騙されていたことを知り、
7月。
拒食症に。
夜も眠れず勉強も身につかず
毎晩泣き崩れる日が続く。
どうやって生きていたのか、よく覚えていない。
乗り気のしないデートと飲み会に追われながらも
なんとか試験を終える。
8月。
乗り気のしないデート後、いろいろ考える。
考えて考えて、おかしくなった。
台湾旅行を考え始める。
4日。
運命の日。
5日。
私の生活が変わった日。
Legend M事件で知り合った友人たちのfarewell party。
出会えてよかった。
全てが落ち着き始めた時期。
介護等体験でまた腰を痛める。
椎間板ヘルニアと診断されるも、
歌の練習に励むうちに鎮痛。
素晴らしい演奏会に出演。
歌をもう一度、と考え始める。
初めての草津小旅行。
大切な人と一緒に旅することの美しさを知った。
9月。
台湾旅行。
私は台湾が大好きだということと、
過去には生きられないことを、身を持って知った。
決意。
どこまで行くかは、私次第。
それでも、行けるところまで、行ってみようと、決意した。
仕事。
いつの間にかアルバイトを3つ掛け持ちしていた。
10月。
いろいろなところに、二人で行った。
おなかが痛くなったりもしたけれど。
全てが、良い思い出。
大好きな友人が戻ってきた。
一緒に馬鹿騒ぎできる人間が、いつでも近くに必要だ。
ハロウィン。自分の無力さを知る。
パーティー。自分は社交的でないと再確認する。
仕事が超多忙になる。
ほぼ毎晩仕事。
毎週授業後8時間勤務、魔の木曜日。
11月。
学祭での発表。
オートハープに重唱にソロにデュエット。
イライラもしたし、嫌になりそうにもなったけれど、
やっぱり歌は楽しい。音楽は、いい。
介護等体験その2。
子どもたちの健気さと元気さに心を打たれる。
非協力的な実習生に腹を立てるも、涙ながらに実習終了。
腰に違和感を覚え、その夜から
鋭い痛みに、眠れぬ日が続く。
3日後。
入院。
12月。
地獄の1ヵ月だった。
何回も死にたくなった。
死んだほうがましだと思った。
二人の関係を拒否され、
傷ついた2週目。
体調不良で、なかなか会えなかった3週目。
4週目、退院。
毎年、年末に向かって欝になる私は、
依然痛む腰を罵りつつ
自分の無能さと無力さで
毎晩自殺について考える。
でも、死に方を考えているうちは、
まだ生きたい、と思っている証拠なんだよね。
笑うこと、って大切だと思った帰省生活。
来年は、いろいろと動かす年にしたいです。
私は、ずっと「静」で生きている気がする。
それでは、私の人生をだめにするような、気がする。
だから、私は、動きます。
いろいろな方向に、動きます。
自分の限界を知ったので、
限界を超えない程度に頑張れれば、と思います。
留学から戻った時点で、
もう普通の国民として生きていかないのはわかっていた。
それを、椎間板ヘルニアが助長しているだけなんだ。
私は、腰を治して動きます。
居心地の悪い場所を、
居心地の良い場所に変えます。
私なりの方法で。
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