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久しぶりに凹んでます。

ここんとこずっと、あー自分はなんて役立たずなんだろうとずっと思っていて、
そこに来て受けた打撃。まあ、ダメ元ではあったけどね……。
凹んでます。
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熱中症になるのではないかというくらい、暑い。

最近、いろんな人と出会ったり、別れたり。
仕事も能力が足らなくて満足にできない日と、うまくいく日と。

でも、去年の7月よりは、断然楽しく過ごしている。
人生、こんなもんなんだろか。
はい、続き。

合唱をやっていたら、宗教曲は避けて通れない。

それは、宗教曲が今日のいわゆる「合唱」と呼ばれている音楽の起源だからだ。調べると合唱の歴史自体は長く、言語と同じくらいの歴史があると言ってもよさそうだ。しかし、今日のように「楽譜」という形で歌い方を定める「演奏曲」としての合唱の起源はやはり教会音楽だろう。幾重にも重なる美しい和声は、教会での音響を意識して作られたに違いない。

細々ながら合唱を続けて今年で14年目になる私も、宗教曲は今までに幾度もうたってきた。
一番最初に出会った宗教曲は、中学のときにちょっとだけ練習したByrdのKyrie eleisonだったと思う。中学時代には合唱という形では歌わなかったはずだが、なんて美しいハーモニーだろう、いつか合唱してみたい、と思っていた。(最近Kyrieとそれ以外のByrdのミサ曲も合唱団で歌う機会があり、感無量だった。)

センシティブな話題なのであまり触れたくはないが、私自身は無神論者に限りなく近いアニミズム信者とでも言っておこうか。昔熱心なキリスト教信者の元恋人(インドネシア人)に宣教され信仰のことで揉めて散々なことになったことと、過激無神論者を夫に持っていることとで、高校まで少しでも持っていた私の宗教心とキリスト教に対する興味はほとんどどこかに消えてしまった。大学を卒業してしばらくは、宗教曲をかなり避けていたと思う。

それと、大人になって「うたを歌う」ことの元々の意味を考えたとき、私が出した答えは「伝えたいことを、相手がわかる言語で、音に乗せて伝える」だったので、外国語の曲を歌うことにすごく消極的だった時期があった。また、留学先で外国語曲を歌った時に、外国語で歌うというのはつくづく大変だと実感したことや、帰国後合唱には「ことばを音に乗せて伝える」という機能があることを忘れて、びっくりするほどヘタな発音で外国語を歌う自己満合唱人を何度も見たことも影響して、外国語曲を日本で歌うことには今でもあまり積極的ではない。

とは言え、5月に歌う曲もほとんどが宗教曲だ。そして全て外国語である。
宗教心は持ち合わせていなくても、美しいものは美しいと感じる。Byrdもそうだし、今回歌う曲もそうだし、全ての宗教音楽に感じることは、宗教音楽は、宗教から生まれた美しい芸術であるということ。

母から生まれた子が時を経ていつかひとりだちするように、科学が発達した今この時代、宗教音楽も宗教から独立したひとつの芸術とみなしてもいいのではないか。

そう考えられるようになってから、美しい芸術作品を一つでも多く伝えられたらいいな、と思えるようになり、宗教曲や外国語曲も変に歪まず歌えるようになった。

つまり、私が宗教曲を歌うとき、もちろんその曲が伝えようとする、神を称えることばや神に感謝することばを理解しないわけではないが、それらの一字一句を観客に伝えようとはしない。
外国語の歌詞から読み取る宗教的なメッセージは自分の中にしまっておいて、「宗教曲」としての美しさだけを観客に伝える。それが良いか悪いかと言われればどちらかわからないが、歌い手も観客も大半は熱心なキリスト教信者ではない日本においては、それでもいいのではないかと個人的には思っている。

ただ、そう思い始めてから宗教曲を観客の前で歌うのは今回が初めてなので、どうなるかはわからない。本番後も、忘れなければ、自分が何を思ったかを書き留めておきたい。

最後に、私が今まで歌った中で一番美しい!と思っている宗教曲のご紹介。
ことばの意味はわからなくても、芸術作品としてのこの美しさはきっと誰にでも伝わるだろう。

こんな時間ですが、膀胱炎らしき症状とひどく下ったおなか(汚)に苦しめられてお手洗いから出られないのでブログ記事なぞ書いてみる。ちなみに、地味に苦しい。

うた、細々と続けてます。
英語と一緒で、うたはできれば一生続けたい。
でも、これも英語と一緒で、うたは一回やめるとスキルがどんどん失われる。それがすごく怖い。
だからといって自分から貪りに行かないのが私の悪いクセなのですが。

来る5月、ゴールデンウィークの最終日に、合唱の本番の機会をいただきました。
参加しているのは、毎年上記本番のために結成されるオーディションが必要な公募合唱団なのですが、実は、オーディションには応募する気も全くなかったのです。

オーディションに応募しなかった理由としては、群馬の合唱団に未練があって、こちらに越してきてからほとんど歌っていなかったのが一つ。オーディションへ向けての練習の時間が取れなかったのがもう一つ。そして最後の一つが、私の音楽の実力。

一番最後の理由が一番大きくて、私は音取りをしっかりすれば歌えるのだけれども、音楽の専門的な技術はほとんど持ち合わせていない。複雑な楽譜は自力で読めないし、ピアノも習っていないし、チェロもコンバスも挫折した。高校時代、音楽の時間にソルフェージュもたくさんやったけど、全然上達しなかった。移動ド唱法も身につかなかった。そもそも調が身につかなかった汗。

そんな私が、オーディションを難なく乗り越えられるような音大出身の方々や、「本気の」合唱歴が長い方と一緒に歌おうなんて畏れ多いにもほどがある、と思ったのでした。

それが、オーディション当日の夜に、お世話になっている合唱の先生(オーディション審査員だったらしい)から電話があって、「ロクンさんを推薦したい」とおっしゃったのです。周りの先生方も、ロクンならできるでしょう、とおっしゃってくださったと。

涙が出るほど嬉しかったのですが、なにせオーディションを受けなかった理由が上記のとおり自分の実力ですから、非常に悩みました。いろいろと悩み、先生にも相談したのですが、最終的には参加させていただく次第となりました。

やる前からできないと言っているのが一番ダメなのだと昔誰かから教えてもらって(多分父だったと思う)、その精神で今までいろいろと挑戦してきてみたので、今回も挑戦してみようと思ったのでした。

すでに幾度か練習を終えているのですが、やはり周りの方々の歌唱力がすごい!
事前にちゃんと譜読みできず、迷惑かけたので、次の練習までに完璧にしようと猛練習中であります。

歌わせていただく曲も、どれも美しいものばかり。
あと、個人的には大好きなメンデルスゾーンがもう一度歌えるのが嬉しい。

正直不安のほうが多いけれど、本番が楽しみ。

便座に長時間座っていたせいで臀部の鈍痛が消えなくなったのでお手洗いから脱出したのだけども、まだまだ安らかに眠れる状態ではないので、続けて宗教曲に思うことをメモ程度に書いておきたいと思います。

と、いうわけで、続く。
あくまでも個人のメモ。

大学院まで出て情けないんだけど、私は今回の事件について、引用のちゃんとした仕方くらい教えようよ日本の義務教育でさあ、って、中身のない批判しか言えない。

だけど書いとく。思ったことを忘れないために。

昔からそうだったけど、夏休みの宿題として出た作文なんか、真面目に書いてる人ほとんどいなかったよね。パソコンも、ケータイすら個人ではごく少数しか持っていなかった時代、「コピペ」なんて言葉はなかったわけだけど、「コピペ」同然のことはずっと行われていた。

「読書感想文?あぁ、本に書いてあったこと全部丸写しして、あと自分の考えたこと足しといたよ」
「作文?親に全部書いてもらったー。」

こんなこと、毎年あったわけですよ。もちろん私の周りにもそういう人はいました。というかむしろこっちのほうがスタンダードな児童生徒だったんじゃないだろか。

私はそうやってラクすることが好きじゃなかったからやらなかったし、(とは言え「引用」などもすることはなく、ただただ自分の意見や状況説明をしていたように思う)大学生になって、そういうクセつけなくて本当によかったと思ったけど、小学校時代に先生に指摘してもらえず「コピペ」のクセついちゃってる人はそのクセを直すのにすごく時間がかかると思う。今までは他人の文章を切り貼りしたところどころに自分のことばを入れればそれで先生からOKが出たわけだから。

少し頭のいい人だと、バレないようにって「コピペ」したやつに自分のことばを足すだけでなく、コピってきたやつもちょっと自分の言葉に直したりする。そうすると書いた文を自分調に変換する能力(パラフレーズ能力)はかなり高くなるのでアカデミック・ライティングでも使える力が身に付くわけだけど、でも結局文章丸ごと使ってることが多いし、自分の言葉に書きなおすのも大抵単語単位だろう上にちゃんとした作法で引用もしてないから、どのみちアウトになる。
あと、丸ごと持ってきた文章の一部だけを改変するのはアウト。出典あってもなくてもアウト。どこまでが他人の書いた文章で、どこまでが自分の文章かわからないから。ちなみに出典を明記した上でちゃんとした表記方法を守れば、他人の書いた文章の一部を丸ごと持ってきて引用することは可能(全部ではない。そもそも全部持ってきたら、その時点で自分が書こうとする文章は自分の文章ではない)。

高校の教員やってたときも思ったけど、学校教育は「文章を書く」という指導をしなさすぎ。そもそも文章能力ない先生もいるし、せっかく高い文章能力持っている先生がいても、(そういう先生は大抵重宝されてお忙しい上に)学校教育のカリキュラムの中に「アカデミック・ライティング(日本語)」の時間は組み込まれていない。
いや、でも、いわゆる「作文指導」って、先生のちょっとした工夫だけで大改善できると思うのだけれども。
例えば引用に対してなら、小(あるいは中高)の先生が、「人の文章はね。使ってもいいけど、その時は、誰が書いたどの文章を使ったのか、ちゃんと書くんだよ。」とだけ言ってくれれば、そしてどうやって自分の文章と人が書いた文章を分けるか(基本は本当に簡単)を5分で説明してくれさえすれば、児童生徒は少なくとも「ああそうか」と思うだろう。そして、頭の良い子なら、「なぁんだ。全部自分の意見じゃなくてもいいのか」くらいは考えるだろう。時間があれば、例えば小学校の読書感想文でよく使われる「『■■■■』という本の中で、○○さんは『×××××』と言っています。でもわたしはこう思います。」みたいな文は、基本的にどんな作文でも使えて、いくつかパターンもある、ということまで教えたら、小学校レベルは十分なのではないか。さらに引用の際に使える文のパターンリストなんかも作れたら、(その文体が稚拙であったとしても)あとあと非常に役に立つだろう。

さんざんディスられている文章構成についても、マインドマップの作り方を伝授したり、基本的な文章構成の型(導入→本文→結論)を明示してあげるだけでもずいぶん変わると思う。

日本の作文指導は、さも型を与えるのが悪いかのように例文や段落の型を与えるのを嫌っているように思う。なぜかさっぱりわからない。高校レベルまで行くと、作文から突然小論文を書かせられることも。作文と小論文の違いも教えられず、どう書いたらいいかもわからずにとにかく高い金を払って小論文模試を受ける(模試という実質上の外注なのは、後で述べるがおそらく先生方が一枚一枚生徒の解答を確認する時間がないから)。「良い」とされている型がすでに存在するのに、その型を自分で探せというのか?それは非常に非効率的なことだと思う。

ちなみに私も高校で作文指導をちょいとかじったが、時間の関係で引用までは話せなかった。マインドマップ使ったりしてちゃんとした構成の文章を書くことまで伝授して終わった。一人ひとりの作文を念入りにチェックして、それぞれのライティングスタイルに合わせて教えるには、作文の時間は短すぎた。あと、高校レベルになると、もう「自分の」作文スタイルが出来上がってしまっていて、ちゃんとした構成になっていなくてもこの残り時間じゃもう直しようがないな……というものもあったりした。

そう、問題は、方法を伝授したあとなのだ。伝授したあと、それができているかフィードバックを返す時間が圧倒的に足りない。

今の学校教育の現状としては、
1.雑務、部活、生活指導、教材研究などに時間をとられ、一人ひとりの作文をじっくり添削する時間がない。
2.そもそも先生方の中でもちゃんとした「引用の作法」を知らない、あるいはそれがいかに大切なものかを認識していない人が多い。そして
3.教員含め公務員が作る書類はほぼコピペで作られているゆえ、教員は自分の文章と他人の文章を区別しなくても良い世界に住んでいる。
これが大体の学校で起きていることだと思います。そりゃしっかりした構成まで組み立てさせる作文教育なんかできないわな。

上記の「文章を書く指導」ひとつとっても、世の中にころがっている教育の問題をよく見ると、結局カリキュラムやシステム自体をどうにかしないとどうにもこうにも変わらないことのほうが多い。
現場の先生方の中にも頑張っておられる方がたくさんいらっしゃるが、大抵、自分の時間や健康を削っていらっしゃる。

子どもは大人のやることを見て育つので、基本的に大人がやらないことを子どもはやらないし、大人がやることは子どももやりたがる。
今回の事件は、真相はまだよくわかりませんが、(社会の)大人たちがやることを学生のときから見てきて、やって当然だと思ってやっていたら大変なことになった、というのが核心なのかなあと個人的には思う。
こんにちは。ロクンです。

昨日は13日の金曜日にまさかの仏滅が重なるという何だかものすごく縁起の悪そうな日でしたが、私の26回目の誕生日でした。

7年に一度くらい13日の金曜日に当たるんですが、日本の暦は気にしたことがなかったので「仏滅」も重なっていると職場の人が話しているのを聞いてこりゃネタになるな、と思い、その日会う約束をしていた友人と家族に話しまくりましたw

で、私は現在某SNSで自分の誕生日を公開することを控えているので、誕生日のメッセージはあまりもらわないのですが、それでもメールを送ってくれる人がいて、ありがたいなあと思った次第です。
(誕生日にはそんなに大切さを感じないので、祝われなくても別に悲しくはない)

で、それと同時にこんなことを思いました。

長野で生まれ育ち、大学進学で群馬にやってきて、1年間のアメリカ留学を経て群馬に戻り、5年とちょっと住んで神奈川へと越したわけですが、自分の故郷はもちろんんこと、行き着いた土地のさまざまなところでさまざまな思い出を作ってきたんだなあと。
今まで場所を焦点として自分の人生を振り返ったことがなかったので、意外とたくさん移動したのだなあと思った。群馬では2つの違う街に住んだ経験もあるしね。

自分の生まれ故郷は大好きで、いつかは必ず戻りたいと思う。
戻ったら、午前中は内職をして、午後は小学生の宿題のお手伝いをする小さい塾(塾代は一日一人10円w)を開いて子どもとわいわい過ごすのが夢。

一時期、故郷を出てしまったことを後悔したこともあったけれど、実家に留まっていたら出会わなかった素敵な人や場所がたくさんある。

群馬の大学に進学しなかったら絶対出会えあなかった、全国の友だち。それぞれに個性があって、私の個性も認めてくれて、みんな最高の仲間。
アメリカに留学しなかったら絶対出会わなかった世界中の友だち。言語の壁を超えて相方ができたことは奇跡みたいなもんだと思う。
大学のある講義を履修しなかった会うはずもなかったインドネシアの友人たち。
群馬で就職しなかったら一生会わなかったであろう、素敵な先生方。
英語が話せなかったら絶対出会えていなかった、最愛の人。
神奈川に出てこなかったら一生接触することのなかったであろう、今の職場の人たち。

いつかは実家に帰りたいけれど、もう少し「外の世界」を見るのもいいのかも。

と、そんなことを思った誕生日翌日なのでした。


……とはいえ、いつの間にか四半世紀を生き切ってしまった私。
あんまりフラフラもしていられません。

中途半端な英語しか武器として持っていない私には、この世界はきつすぎるかもしれない。
でも、周りの方々の助けによって、めげずになんとかやれている。
今度こそ仕事で失敗したくない。せっかく出会えた人たちと、プロジェクトを完成させたい。

あのクソみたいな職場を離れて本当によかったと思う。
頭の良い人たちと仕事をするのはとても心地がいいです。
ただし、今度は私が一番無知で足手まといになる可能性があるので、気は抜いていられない。
その緊張感も好きかもしれない。

明日は休みだけど月曜日は出勤です。私は私にできることをやります。
プロジェクト、いろいろ間に合うといいなー。(gkbr)
さて、やっと仕事が見つかりました。

内定蹴ってまで受けた会社からは内定もらえず。
しかし、可能性を買ってもらえて、
「アルバイトでも構わなければ一緒に働きませんか」
と言われたので、二つ返事でお願いすることに。

ずっと関わりたいと思っていた仕事だし、何事も経験には変えられない。
前の仕事は、経験のためにやってみよう、やってみればもしかしたら好きになるかもしれない
と思って始めた。
結果ダメなものはダメで、やっぱり日本の公教育はアレだなと思ってしまったわけですが、
今回も、憧れてはいるけれども、実際にやってみたらダメかもしれない。
逆に、予想していた通り素晴らしくやり甲斐のある仕事かもしれない。

アルバイトという比較的責任感の軽い仕事をさせていただきながらそれを見極められるかもしれない。
こんなチャンス、ない。こんな機会をいただけたことを本当に光栄に思う。
仕事が始まるまであと少し、いろいろと準備しなければ。でっかい音鳴るアラームとか……。w

ところで、今はどうしてるかというと、絶賛ニートかと思いきや、ちょっとずつ内職してるです。
内職と言っても、モノを作るのではなく、文章校正の仕事。

英語の校正なので、久しぶりに大学時代によく使っていた言語学の教科書やら文法書やら辞書やらを
引っ張り出してきて、その楽しいことと言ったら!
でも、「この文はここが文法的におかしいからダメ!」って即座に答えが出てこないことのほうが大半で、
「んーなんかこの文変だなあ、なんでだろう?」って思って15分ほど調べて考えて「あ、そういうことか!」
ってなることが多くて凹む……。私大学で習ったこと覚えられていない……。

お仕事させてもらいながら、文法の知識を少しずつ思い出させてもらっている今日このごろ。
お金をもらいながら自分の好きなことができるっていうのがいいよね。好きだからこそ、力を入れてしまう。
まあ、必然的にもらっている金額と合わないほど働いてしまうわけですが、好きなことさせてもらってる
んだしお金までもらっているんだから、最高じゃないか!ということにしておく。

それにしても、あー肩凝った!長時間イスに座り続けて身体がバキバキ。
シャワーでも浴びてくるか。
キレてます。

何がって?


集中力が。


明日の夕方までに終わらせたい仕事が10本あるんですが、週末から始めて、まだ3本目……。
難しい仕事ではあるんだけど、仕事を進めるに当たって文献とかネットの情報とかが必要になってくると、
その時点で集中力が切れてネトゲや冷蔵庫wに意識が向いてしまう(´・ω・`)

以前と比べると、本当に集中力がなくなったなーと思うのです。

留学中も全然集中力なくて嘆いていたけど、昨今の集中力のなさはやばい。
今の若い子たちのこと悪く言っていられない。
誘惑が多すぎるんだよね。テレビとか(うちテレビないけど)、ゲームとか、マンガとか、ネットとか。
そしてそれは子どものせいではない。その環境を整えているのはオトナ。
このブログに久しぶりに書き込もうと思うきっかけを作った曲のことを書きたいのに、
いろいろ調べてもジャンルが出てこないから書けなくてすごいもやもやする!

アコースティック・ギター+マンドリン+ベースギターで、なんかシャレオツなバーとかで流れていそうな曲なんですが。レストランじゃなくて、バーね。マイナーな曲調がオトナだから。

まぁ、とにかく、すごくシャレオツでオトナな曲調なんですよ。
なんですが、歌っている内容は

「痛風」。

知ってます?痛風て。患者さんの90%以上が男性っていう、関節炎をおこす病気です。
ある一定の環境が整ってしまっている身体(高尿酸血症とかいうらしい?)で、アルコール(というかビール)飲み過ぎるとなるらしい。足の指の関節に起こりやすく、風が吹いただけでも痛いので痛風と呼ばれるようになったのだとか。(病名には諸説あるらしいですが。)

で、なんで痛風の歌かというと、作った人・歌っている人が痛風だから(笑)。

「風が痛い」というこの歌。

私が初めてこの歌に出会った場所は、小学校高学年の時、父に連れられて行ったSAMというバンドのライブでした。
父が追っかけをしていた坂庭省悟さん(S)、痛風持ちの赤木一孝さん(A)、ベースギターがかっこいい松崎博彦さん(M)から成るバンドで、ジャンルは一応フォーク、かしら。

フォークなので、難しい曲も多かったですが、電子パーカッションやスプーンなど、次から次へと見たことのない楽器が出てきて、MCも楽しくて、絶えず笑顔の楽しいライブだったと記憶しています。

そのライブの最初に、赤木さんが痛風であることをカミングアウトなさっていて、「?痛風??」って顔を私たちがしたからでしょうか、詳しく説明してくださいました。
子どもながらにおっそろしい病気だなあと思ったのを覚えています。

で、ライブ中盤だったと思うんですが、件の「風が痛い」を披露してくださいました。

ここで「風が痛い」の内容を少しお話したいと思います。

秋の風が僕の身体を吹き抜けていく――
――痛風にかかっている「僕」は、風が吹くだけで足の指が死ぬほど痛い。
「キミ」といい感じになった夜も、食べ過ぎ・飲み過ぎで足の指が疼く。
痛い、辛い、足の指。僕は痛風。
ある日、僕は一筋の光を見つけた。それは、「治してくれる、くすり」。

こんな内容なのですが、終始シャレオツでオトナな曲調なのにも関わらず、エンディングが最高に面白いのがこの曲なのです。

治療薬が見つかって、辛い気持ちが少し和らぐ「僕」。そして、以下が衝撃のエンディング:

「きちんと付き合えば 明るい病気 痛風」
「かかるんだったら 痛風」
「ぜったい ぜったい 痛風」
「病気は 病気は 痛風」
キミも僕も 痛風」

キミも僕もて!巻き込むんかい!しかも痛風ゴリ押ししてるし!
と、高学年だった当時の私も爆笑しました。周りのオトナも笑ってたような気がします。

そういう可愛いギャップもあったりして、大好きな曲です。
しかし、こういう曲、結構あると思うのですが、全然ジャンルの情報が出てこない(´・ω・`)
ホント、バーとかで流れてると思うんだけどなあ。

曲調としては、ボサノヴァからパーカッションを抜いて、メジャー基調からマイナーにしたところに、ちょっとだけファンクの要素を足したような感じなんですけど。

あーもやもやする。
今こうやって書き始めて、

もしかして、愚痴をどこかで(しかも日本語で)吐き出せる場所があったら、仕事も辞めずに済んだかなあと思っている。

そう。

今年7月末で、高校教師を辞めました。

もう本当に辛かった。毎日亡霊のようになって帰ってきては、相方に心配されながら暴食、真夜中に沢山食べるもんだから眠れずに、嫌な夢を見て疲れてしまい、翌日、唯一自由な時間の午前中を全部ベッドの中で過ごし、また嫌な気分で出勤、毎日何か嫌なことが起こって、助けを求めても具体的な指示は何もしてもらえず、でも一匹狼で仕事をすると責められて、じゃあ私は一体どうすればいいの状態から抜けられずまた亡霊のようになって帰宅、暴食。の繰り返し。

6月に入って、もう、無理。と思ってしまった。何が無理って、職場の人間が無能すぎてもう本当に無理だった。無能な人間に無能扱いされるのに耐え切れなかった。そして転職サイトで転職活動開始。
いや、無能な人間なんて、どこの社会にもいるのかもしれない。でも、それに目をつぶっている管理職も許せなかったし、仕事もちゃんとしないのに税金からできている給料を我が物顔で受け取り、給料が下がると文句ばかり言う、教師としてあるまじき人間たち(人間っていうか、ケモノ?)が本当に許せなかった。
絶対子ども産まねえwと思った。日本の公教育は絶望的、なんてところまで考えてしまい、かなり辛かった。
(もちろん上記のような人ばっかりがいる学校ばかりではありません。ちゃんとした学校もあると思います。でも、私が経験したことはおそらくどの学校でも少なからず起こっていることだと思います。)

退職が決まったら決まったで嫌がらせが多発、でも最後だから耐えた。最後のほうはもう職場で食事を取る気が起きず、水分補給すらもする気が起きず、半分拒食症のようになり、かなり痩せたし顔も随分やつれた。ジーンズのサイズは3サイズ、シャツのサイズは2サイズダウンした。今は小学校の時に買ってもらったジーンズ以外全部ゆるいwスーツは新調せざるを得なくなりました。高かったよう。ぐすん。

ちょうど相方の仕事の契約も満了になるところだったので、この際上京してしまおう、ということになり、先月、都内にほど近い場所に転居しました。

私が退職を決意するきっかけになった転職サイトのある求人は、面接まで行ったものの、不採用という結果に。
退職日までに新しい仕事を見つけなければ……と最初は焦っていましたが、退職してしまった今は、少しのんびりしてもいいかも……と思い、自分と向き合う時間を作って、のんびり転職活動をしています。

一度、ある会社から内定をいただきましたが、自分のやりたいことを追い求めるあまり、辞退することに。
いろいろ悩みもしました。自信なんて、とっくに喪失してます。人間関係が原因で、逃げてしまったようなものです。コミュ症とさんざん罵られ、留学時代に克服したはずのコミュニケーション恐怖症も再び到来しました。そんな私と働きたいと言ってくださった方々に、ごめんなさいと言う私に、更に嫌気がさしたりして。

ただ、きっと、私には「型にはまった人生」なんて、できないんだろうなあ。と思います。
「型にはまった人生」を嫌っているから、「型にはまった」「安定の」「人生」を歩んでいるオジサンたちが嫌だったのかもしれません。

私の転職活動はいつ終わるかわかりません。でも、なるべく私らしくいられる、そんな職場があったら、そういう場所で働けたらいいなあと思いながら、ゆっくりのんびり行きたいな、と思っています。

……経済的にはあまりのんびりゆっくりもしていられないのですが。

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