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実は年女だった私。
気がつけば、2011年も終わりです。

ずっと閉じることができないでいる、このブログ。
もう随分と放置したままだけど、このまま閉じることはないだろう。
やはり長い記事を書くときに、一番居心地がいいのはここだ。

そんなわけで、久しぶりの記事。
2011年を恒例の箇条書き+散文で振り返ってみようと思う。



1月

・病み上がりでした。

腰がまだまだ痛くて。授業もバイトも少しずつ、といった感じ。

・毎年恒例の欝。

この冬は親にも連れにもたくさん迷惑かけました。
わがまま言いまくって。


2月

・さまざまなブログ記事によると、この頃私と連れはニャッキにハマったらしい。

私と、っていうか、私は昔からニャッキが死ぬほど好きだ。
大学のプレゼンで使うイラストを全部ニャッキにしてしまったほど。
オークションやオンラインショップとかで、死に物狂いで探したなあ、ニャッキ商品。
結局手に入ったのは2つだけでした。

・日本語学研究

一時期、北信の若者ことば「〜しない?」を研究してました。
だけど、研究方法もよくわかってなかったし、先生がどの道の人なのかもよくわからなくて、結局なあなあなレポートに終わってしまった。
でも、自分の言語形成のルーツをたどるのはとても面白かった。


3月

なぜか1月・2月の記憶が薄いなあと思っていたけど、そういえば、
3月に、それ以前の出来事を全て忘れさせるような、絶望的な出来事が起こったのだった。

・3.11

私はこの日先輩と某所で昼から某ボードゲームをして遊んでいました。
ちょうど小中学校の卒業式だったので、子どももいっぱい居たりして。
忘れもしない、あの初期微動。そして、長い主要動。
大地震未経験の子どもらが大パニックに、店員さんたちが冷静に対応していた。
私と先輩はそれをとても冷静に(というか冷たい目で)見ていた。
「ここがこんなに揺れるってことは、他のところが大変なことになっている可能性がありますね」
でも、結局私たちは5時くらいまでずっと某所にいました。
だから、津波のことも、地震直後のことも、よくわからない。
家に帰って、パソコンを開いてからネットにくぎづけ(私の住んでいる地域は幸い停電していなかった)。

苦しかった。怖かった。特に「福島原発異常発生」の大見出しを見たときは、
日本もついに終わったと思った。チェルノブイリをとっさに思い出した。

結局その日は一睡もできず、おろおろとしていたら、今度は栄村で大地震発生。
さすがに焦った。母の実家が近いから。すぐに安否は取れてほっとしたけど、
揺れはおさまらなかった。不安もどんどん募っていった。

パニックショッピングに巻き込まれ(あれは本当にばかげていると思った)、
ガソリンもないのでしばらくは電車で連れの家に行くはめに。

それでも、苦しくても、誰かがそばにいてくれるだけでこんなにも違うのだと実感した。
ふたりで10キロほど歩いて買い物に行ったのはいい思い出。
スローライフもいいなと思った。

その後計画停電やら何やら、不安の時期が続きました。
計画停電は、今でも「しなくてよかったんじゃないか」と思う。
結局あれから、どんどんと原発が稼働停止になり電力状況は悪化しつつあるはずなのに節電もあまり呼び掛けられていないし、ニュースも何もやらないし。
まあ、でも、計画停電もいい経験になった。
仕事中、先生と真っ暗闇の中でご飯を食べながらいろいろ話して電気が戻るのを待ったりとか(その話が世間話ではなく、もっと内容の濃いものだったのでより良い経験になった)、
湯たんぽを作っておいてベッドでDVD・ビデオ鑑賞したりとか。

放射能のことが心配だったけれど、もう、心配しても遅いと思った。
政府も●電も、合法的に人殺しをしているんだと思った。

そして私はこの3月の終わりに、
将来何か特別の事情がない限り、決して子どもを産まないことを心に決めました。
この国に、明るい未来はない。こんな国で、自分の遺伝子を継承したくない。
私は、今を生きていられれば、それでいい。
いろいろなものに汚染された体内で、健康な子どもの種ができているとは思えない。


4月

・2010年4月に逝った友だちの、一年忌。

久しぶりに高崎で飲み倒しました。楽しかった。
最後はみんな、涙が止まらなくなってしまったけれど、
でも一緒に飲んで彼を思い出せる友だちがいるって素敵なことだなあ、と。

・花見やらなにやら。

3月は本当に精神的に苦しすぎた。それでも春はやってきたし、花も咲いた。
空に散るは美しい桜。隣には大好きな人。
幸せはいつもその辺にころがっている。

・連れのお母さんがやってくる。

最初に会った日に、あ、この人、好きだ。と思った。
その後一ヵ月近く一緒にいて、いろんなところへ行って
(二人きりで行動したこともたくさん)
とても楽しい日々だった。
特に二人でお茶会に呼ばれて行ったのはとてもいい経験だった。
ジーンズに素足でお茶会に出る私ww
正座ができずあたふたするお母さんww
私本当に日本人のしきたりとかってだめだなあと思った。切実に。
日本人の本音と建前が区別できない。まあ英語のジョークも理解できないけど。


5月

・マレーシアの学会に出ることを正式に決める。

先生から話があって、どうしようか迷っていた私。
だけど、自分の発見が割と面白いものだと自分でも思えたので、要約だけ出してみることにした。
すぐに返事があって、学会発表の許可が。とても嬉しかった。
でも要約はほとんど先生に直してもらったんだけど。


6月

・最高のジブリアルバムに出会う。

ヴィレッジヴァンガードでウィンドウショッピングしてて連れが発見した素晴らしいアルバム。
特にこれ:



あとこれ:



メタル好きでよかった。

・大学院仲間と打ち解ける。

笑いあり、笑いあり、笑いありの日々。
お好み焼き焼いたり、もんじゃ焼いてもらったり、geekな話たくさんしたりしました。

・あと、いつか忘れたけど英検と教採を受けた。

教採はジーンズで受けに行ったw
どんだけナメてんだ私。
そして1時間だけ受けてTOEICのスコア提出して帰ってきた。


7月

・英検2次受ける。

いやあ、やっぱり準1受ければよかった、と思うくらい、1級はハードだった。
1次もギリギリ合格、2次もギリギリ合格。
でも2次の試験官とのディスカッションがとてもとても楽しかったから、落ちてもいいやと思ってた。

・教採に受かる。

ジーンズで受けたのに!!!と、ショックを受けた。
勉強もほとんどしなかったから、受からないと思ってアメリカ行きの準備してたら
合格通知来てびびった。当然、勉強しないまま2次を受けることになる。


8月

・アメリカ旅行。

今回は妹と父の付き添い(という名の観光)。
久しぶりに行くところや、初めて行くところがあって楽しかった。
そして久しぶりに会う友人たち。そこが一番楽しかった。
英語も、まだまだ(だいたいは)現地で使えるようだった。よかった。
あと、一番達成感を感じたのは、
昔来たときは父のうしろをくっついてばかりだったのに、今回は対等に英語を話し、
互いにヘルプし合えたこと。私の8年間は無駄ではなかったと確認できた。
嬉しかった。

・学会用の論文提出。

いろいろダラダラとのばしていたから、結局あまり出来のよくない論文になってしまったが、ちゃんと出版してもらえた。この論文が、私の修論の大きなサポートになった。



ちょっと年が明けてしまいそうなので、とりあえずここまでをアップ。
今年も一年いろいろなことがあった。
まだまだ続きます。後半戦のが濃いかも。

よいお年を。
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